←come-in-sight / LETTER FROM 36°46′35″, 137°5′36″

 ヒーターのいそがしく燃える音を毎日きくようになって、きん、と軽やかに鳴るような、ドイツのつめたい冬の空気を思い出した。こうしてふたたび日常を織る今とあの頃が異次元なようにも思えるし、一方でただひと続きであるという確信が自分の中に共存している。ひとつひとつを頭の中で拾い上げると真実だったのか疑わしくなるくらいに浮かび上がっては燃え去り、そのたびに昔目にした言葉が頭を過ぎる。“記憶は鮮明だが、それが本当だったという可能性はまったくない。”

 夏のはじまり、海沿いの街に引っ越した。アトリエとなるような場所を求めて、見知らぬ街で築七〇年の古い一軒家に一人で住むことにした。春、世界中が混沌に包まれ、長い一時帰国から戻るはずだったベルリン行きの飛行機はあっさりとキャンセルになっていた。ビザも切れ、計画があっという間に白紙になったとき、わたしの感情は毎日うねる大波のようだった。しかし諸々によって構築された「流れ」を手放すとひどく穏やかになった。本当はもうとっくに「外の状況」と「中の状態」が一致していなかった。沢山の荷物と暮らしをかの地に置き去りにしたまま、わたしはすでに此処へかえっていたのだった。

 「回遊するように」という言葉が胸のなかにある。いつも同時にふたつのものが存在していて、ひとつが欠けてしまっては成り立たない、そういうもののあいだを行き来する。蔦をのばす感覚にも似ている。そうして灯る「気づき」(気づきとはほんとうは既に知っていることでしかない)を何べんも口の中で味わう。だから根幹にあるものはいつも変わらなくて、どこかへ移ろうほど、より一層わたしにそれを思い出させた。


《NOVEMBER 20. FRI. 2020 – LETTER FROM 36°46′35″, 137°5′36″》