彼は誰

自分で認識している自分のことは
もしかしたら思っている以上に過去のことだったり
わりと勘違いしているのではないかと思った

「今」感じとったものを「過去」で表現しようとするとたちまち齟齬が生じる
一分一秒細胞は変わっていって、時間は詳細に進んでいて “時代”の感覚は30年、“今”の数字的長さは0.3秒という話をした
(0.3秒と言い切ることは詩的なのだそうだ)
好きな食べ物も、興味のない食べ物も、
把握しているのは実はうんと過去のことだった

それがわかるのは自分の作ってきたものだったり
相手から見た自分のことだったりする
過去で描写されたことだけを今の真実のように思い込ませて
そのまま出力したら違和感が出るのは当たり前だ

でも「状態」だけは今のまま今で感知できる
思考ははやいようでしっかりと遅い、意識と心は、少し遅い

6/12/2022 生き物は苦痛を感じると身を捩る

何ももたない私が在ること。
これが、できるかどうか。
私が「私」を消しても、存在し、受け容れられるか。
我を失くすこと その境地の真実を知ること。
受け止め、抱き、中に入ることができるか。
本当の意味で差し出し、受け容れられるか。
怖いという気持ちを隠さずに、それができるかどうか。
最も試したくて、願っていること。


「私は」と主語が大きくなっているとき、後ろの方で「ああ、私が消失しているな」と思っている。
そういう時の言葉はもう殆どが千切れている。

4/12/2022 私を失くす

1/12/2022 

結局世界は、自分の見たいものが見れるようになっていて、感情もそこに読み取るものもすべて、自分の思い通りの出来事が起こっているだけだと思う。 だから目の前の相手がほんとうは実体を帯びた虚像なのかもしれないし、真実というまぼろしなのかもしれない。 いつだって箱の中に入っているものは何かを、自分自身が知っている。それはわたしで、あなたでもあるということ。 でもその世界どうしが偶然触れ合っているなら、感動していたいし、よろこんでいたい。 匂いを知覚しながら話をしていること、筆跡をおぼえること、今頃は媒体を通じても音声が鮮明だし、なんとなくお腹がすいたり、タイヤ交換しに行くことだってそう。 すばらしい通信をわたしたちは行っているわけだ。 思い出を永遠にしようとすると死を近づけるけれど、記憶のなかを生きることはできる。タイムラグはあるようでないし、ここへあらゆるものが召喚可能だということを知っている。自覚すればするほど火が燃えて、水が流れる。樹々は樹立しているけれど土の中の同じ養分を吸収している。風にも吹かれている。葉が染まる時期も、蕾が灯る時期もお互いを見ればわかる。 血の繋がりがあったとしても、別々のものに見える。最近出会ったとしても、よく似ている。 言葉の後ろ側にあるものをどのように読み取るかは勝手になされるものだから、めくじらを立てる必要はない。もうすぐ引っ越そうと思っている家が心地いい生活空間になろうと努力している。永遠のものを見せられたとしても、いつかそれは永遠ではなくなる。それがへりを掴み、顔をあげた先に見えるものなんだということは、わかっている。

21/11/2022 卵の殻

わたしは陽だまりが落ちているところに落ちていたいと思っているんです
心地いい家に住みたいですし
あったかい
人になりたいです
動物みたいに
白いワンピース1枚だけ羽織って
断片を断片のまま愛したいと思っているんです

17/11/2022