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すがたを見せること

2020

世界中があっという間に混沌に陥った年、自分を確立していたそれまでの生活を放り投げて、湊町の古い一軒家を借りて住みはじめた。見知らぬ街の見知らぬ空気。どこに自分の根幹を置いてきたのか混乱しながらも勘のうずく方向へ身を任せて辿り着いた場所。「身体は世界を測るものさしだ」−−− 家は、その一番身近な空間認識領域だった。
蓄積された時間は感じる以上に濃密で、ちょっとやそっとじゃ動かせるものではない。ひとに出会うとき、過去を語らずとも、その人自身の書き記してきた物語がにじむ瞬間がある。家というのはそれがずっと開放されているような、まるで人を一枚一枚丁寧に展開したようなところがある。居ないはずの先住者の気配や痕跡に飲み込まれそうになりながらも、そのうち境界があやふやになり、やがて自分自身の色に近づいていく。心地良いと感じるかどうか、それはその家の「主催者」がかれの「もの」と共生しているかどうかで、匂いや光が変わってくるのだと感じる。
関係性の連続で城は成り立っているのだ。

出会ったものたちとの会話を全身に焼き付けるような時間を過ごした。それはこの数年間堰き止められていた自由自在の言葉が蛇口を勢いよくひねったかのように流れ出て、声となって放流された。たくさんの生き物が寄り添うように目の前に姿を現す。彼らのいのちの営みは今をよく表していた。ただ「在る」ということのひろがりの果てなさを前にして、それまで固く握っていた手綱は離れ、「形」せしめていたあらゆる輪郭線が曖昧にほどかれていった。世界はひとりずつでできあがっているけれど、互いに呼応するものが確実にある。

『すがたを見せること』では、その軌跡が記されていった。最小限の言葉と写真だけをのこして、展示会場である自宅の住所さえも曖昧にした案内状を不特定多数に投げかけ、どのくらい反応があるのかを試した。この街に知り合いなんてほとんど居ない。少しの情報しかない紙切れを見て面倒な申し込みをしてわざわざやって来る人に、何を感知してやってきたのかと興味を持った。うっすら開いた戸の隙間から覗く、不安と期待の入り混じる様々な感情を抱えた顔。きっと同じ顔をしていたであろう私は、毎夕必死に巣を作り続ける蜘蛛のことを思い出していた。彼らは見知らぬ他人の家に足を踏み入れる。私はそれをただ受け入れる。皆互いに侵入者で媒介者なのだ。透き通っていく内と外。頭上で響く足音に耳を澄まして、入口での再会を待った。

© MINORI MUNETOMO