ドイツにいた頃の作品集を再制作しています
巻末に記す文章を書き直しているのですが、言葉を書くことで何かへの理解となるかどうか、たぶんその優先順位は曖昧で
この姿勢はどんな場所においても貫かれる、わたしと言葉の距離感なのだと思います
丁寧に話したい場合もあるけれど、それは空気に漂うものなので
基本的には「放棄」しています
ただ今は少しだけ頑張ってみようかなあと思って何度も書き直しては観察してみています
どの言葉をどのように受け取るかは、どんなに努力しても100パーセントの純度では行き来しません
必ずそれぞれのからだを通って、変性されるということはこの世界の理のひとつです
だからこそあきらめないこともあるだろうし
そこから去るときもある
その判断の礎は「心地」なのだと思います
あるときあるところのある感情において
具現化されることについては正直にいたい
どういうものでもいい
そこに誘発される果樹のようなものがあるならあのとき種を植えておいてよかったと思えるし
船着き場からロープをほどき放す乗組員になれるならそれも豊か
朝起きて、「今日はいい雨だね」と話しあえるのは幸福なことのように思う
「とても旅立つにはよい日和」は、夜に上映会も行っています。
昼間の展示との二部構成になっていて、
実は見てほしいものがここにあったりします。
初日はキュー店主のじゅんこちゃんとあーだこーだ言いながら見てたのですが
そういえば前の上映会の時もあーだこーだ皆んな言いながら見てくれていて
それが楽しかったのです
集中した時間と、緩む時間がたぶん混在していて
自分が居るんだけれど、笑えるし、ちょっと不思議なんです
面白いから、見てくれたら、居てくれたらすごくうれしいなと思って
ここで少しだけ書いてみました。
何かを分けあいたい感覚が とてもきれいだと思う
「だれかに見せる」と、いつも大切なものをもらえます
すごいな、どうしてだろうって
同じぐらい もしくはそれ以上のものを渡してくれることに ありがとうって思います
とてもうれしいです そういう気持ちです
今日はひとりで店番です
展示期間中は真鶴に滞在しています
オープン日は だいたいキューに居ます
そんなこともあって今回は、お話しできる時間を楽しんでいます。
「素直」であることの新しい試みを 素直にできていることをとてもよろこんでいます